はいどもー(^^)/
精神科看護師のささやんです!!
前回はすべての悩みは対人関係という記事を書きました。
幸せになるには、対人関係において、劣等感を感じることはありますが、その状態のままにするのではなく、勇気をもってそれを乗り越える事で、劣等コンプレックスから抜け出せるとういうことでした。
そして今回は第3章についてです。
対人関係の悩みには承認欲求が関係してきます。
そしてアドラー心理学では、承認欲求を求めることを否定します。
承認欲求とは??
他者からの承認欲求を否定するとはどういうことか。
確かに、人は誰かに認められたら嬉しいものです。
しかし、アドラー心理学において、承認されることが絶対に必要かというとそれは違います。
そもそもどうして承認を求めるのか。
青年は「自分に価値があると実感することで劣等感を払拭し、自分に自信を持つことが出来るからだ」と言いました。
それは賞罰教育に影響されているからです。
適切な行動をとったから誉めてもらえたり、不適切な行動をとったら罰せられる。
これは、褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない、罰せられなければ不適切な行動をとる、と言う風に言えます。
これは誤ったライフスタイルです。
我々は他者の期待を満たすために生きているのではないのです!!
誰のための人生を生きているのか??
それは自分自身のためなのです。
承認を得たいがために、求められることをするというのは他者の期待を満たすということです。
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかり気にしてばかりいると、本当の自分を捨てて、他者が抱いた「こんな人であってほしい」という期待をなぞって生きていくことになります。
自分が「他者の期待を満たすために生きているのではない」としたら、他者もまた、「あなたの期待を満たすために生きていない」のです。
では身勝手に生きて生活してもいいのか?
それは違います。
アドラー心理学では自己の課題と、他者の課題を分けるということが大切になってきます。
そして他者の課題を切り捨て、他者の課題に踏み込まないことです。
他者の課題に踏み込むことこそが、対人関係においてのトラブルの原因になっているからです。
他者の課題を切り捨てる
何か課題があった時、それは誰の課題なのか?を考えることから始めます。
例えば、勉強しない、授業も聞かない、宿題もしないような子供がいる場合。
このような課題の場合は誰の課題になるのか。
自分が親だったらどうするでしょう。
無理やり勉強させますか?
宿題が終わるまで部屋から出さないでおきますか?
そんなことをして、子供は勉強が好きになるでしょうか??
「勉強をする」
それは子供の課題になります。
親の課題ではありません。
親は子供のためと言って勉強させるかもしれません。
果たしてそれは本当に子どものためでしょうか?
本当の目的は世間体を気にしてや支配欲ではないでしょうか?
そうした欺瞞を察知するからこそ、子供は反発してしまうのです。
勉強についていえば、本人の課題であることを伝え、本人が勉強したいのであればいつでも援助できることを伝えておく。
頼まれてもいないのに、口出ししないほうがいいのです。
「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」ということですね。
子供は親の期待を満たすために生きているのではないということです。
自分が他者との課題を切り捨てて、生きることで、相手もそのメッセージを受け取り、自分の課題を見つめなおす。
自分を変えることのできるのは自分しかいません。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなくても、信じ続けること。
そうして他者の課題と自分の課題を切り分けることで、人生の荷物を少しは軽くして、シンプルに人生を生きていくことになるのです。
対人関係の悩みを解消する方法
人生において自分のできることは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」だけです。
その選択において、他者がどのような評価を下すのか、それは他者の課題であって自分の課題ではない、と考えます。
他者の評価を気にしてる多くの人は、本来は他者の課題であることを自分の課題だと思い込んでいます。
課題の分離が出来ていないから、他者の評価を気にしてしまいます。
自分を他者がどう見ようと、それは他者の課題であって、自分にはどうすることもできないということを念頭に置いておくことが重要です。
これはまず誰の課題なのかを考える。
そして冷静に線引きをして、他者の課題には踏み込まず、自分の課題には介入させない。それが対人関係の悩みを変える画期的な方法になります。
本当の自由とは??
自由とは何か。
それは他者から嫌われることである。
なぜか??
誰かに嫌われているということは、自由に生きている証拠だからです。
嫌われることは苦しいでしょう。
しかし、他者の評価を気にせず、嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くということはできない。
それはつまり自由になれない、ということです。
自分を良く思わない人がいても、それは自分の課題ではなく、他者の課題である。
そして、自分がこれだけやっているのだから、好きにならないのはおかしいと考えるのも他者の課題に介入した見返り的な発想です。
嫌われたくないと願うのは自分の課題だが、嫌うかどうかは他者の課題。
好かれるために最善のことをする必要がある。
しかし、そうして好まれるかどうかはその人の課題になります。
幸せになる勇気とは嫌われる勇気も含まれています。
その勇気を持った時こそ対人関係の悩みは一気に軽いものになるでしょう!!
まとめ
自分が自由な人生を歩もうと持ったら、他者の課題と自分の課題を明確に分ける必要がありますね。
自由な人生を歩むというのは莫大なコストがかかるものなのかもしれません。
しかし、自由に生きる事こそが自分の人生を歩んでいるともいえるのではないでしょうか。
自分も人の視線ばかり気にして生きてきました。
それは本当の自分を殺して生きていて、息苦しさを感じることも多々ありました。
職場関係、夫婦関係、親子関係と人生は対人関係も様々です。
嫌われる勇気を持つことが人生を自由に生きるための第一歩になりますね。
そして精神疾患を持っている人もこの対人関係で苦労している人が多いと思います。
自分のできる最善のことをする。
それで他者にどう思われても他者の課題であると割り切って、生活することでその負担が少しでも軽減できればと思います。
はじめはストレスのかかることもあるかと思います。
しかし、この考え方に慣れていくことで、ストレスフリーに生活できる気もします。
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