はいどーも。
精神科看護師のささやんです。
今回は「看取り期の食事について」です。
認知症の患者で誤嚥性肺炎を繰り返し、経口摂取は困難だが、徐々に末梢血管も取れなくなってきて、家族からはCVポートや胃婁など積極的な治療はしないと言われている方を見たことがあります。
ただただ弱っていくのを見守る事しかできなかった経験があります。
「そんな時は自分に何が出来たのか?」 「最後はこれで良かったのか?」
などいろいろ思うところがありましたね。
ということで今回はそんな終末期、看取り期での食事について着目していこうかと思います。
お食い締め
お食い締めという言葉をご存じでしょうか??
お食い初めは知っている方も多いと思います。
お食い締めとは以前研修で参加させていただいた、愛知学院大学 歯学博士、言語聴覚士の牧野日和氏が造語した言葉です。
・狭義には人生最後の食事
・広義には「人生の最後に何を食べようか?」「誰とどう食べようか?」などと思いを巡らせ履行することで、周囲との絆を形成し、去りゆくものと残されたものが、それぞれの立場で命を学ぶ機会を得ることを含む。
・お食い締めの内容は十人十色である。
・本人の希望と周囲の希望はしばしば乖離する。
この言葉を聞いたときは「なるほどな。こうゆう考え方があったのか。」と当時、新人同様で研修に参加した僕は思った記憶があります。
自分も食べるのが好きで「死ぬ前には大好きだったものを食べたいな」と思っていたり、、、
最後の晩餐は何にしようかなと考えていた時もありましたねw
お食い締めの考えに沿って、看取り期の食事を解説していきたいと思います。
看取り期とお食い締め
牧野氏は、よぼう期、とりもどし期、みとり期があると言っています。
よぼう期:加齢によって誰にでも見られる身体機能の低下があり、「よぼう支援」で生活習慣を見直し、身体全体の機能や免疫等の維持・向上させ、生活習慣病を遠ざける自立支援を行う。
とりもどし期:加齢による身体の生理的衰えや身体の障害により食べる機能が一気に低下している。食べ方を制限したり、食べることに消極的になる事でさらに機能低下をきたします。
この時期は根拠に基づいたリハビリが有効であり、最終目標は食べる機能の回復、ならびにその人らしい人生観の確立です。
みとり期:医学的な治療などあらゆる支援を行っても機能低下がとめられず、死の訪れが予測できる状態。判断基準としては医師が看取り期だと判断する場合、「とりもどし」を試みても回復が期待できない場合。
みとり期には「死までの残り時間をどう過ごすか」の検討が求められる。
「もう一度好きなものを食べたい!!」という方には、お食い締めを行う。
お食い締めは家族との最後の時を有意義にする効果も期待できるようです。
ターミナルケアで目指すこと
①本人の満足
・最後までその人らしく過ごす
・自分の人生を認め意味づける
・家族や仲間と過ごし、次に繋ぐ
②家族の満足
・関係性へのねぎらい
・後悔しないために今できることをする、考えておく
・突然死への構え
・死に目に会う
③スタッフの満足
・患者・家族の満足支援
・死に立ち会わせる支援
・専門的なターミナルケアの学び
などがあります。
緩和ケアでは生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族へ対しての様々な問題を早期発見し、的確にアセスメントと対処を行うことによって、QOLを改善するアプローチでです。
それが食事だった場合お食い締めを行うのもいいかもしれません。
みとり期は命の学びの場でもある。
「逝く者」が後進に教える無言の教育の場でもある。
ただお食い締めによって息を吹き返したように元気になる人もいるため、あきらめない心は大切であると思います。
まとめ
みとり期での看護は様々な看護観、死生観があり個人によっても考え方が違ってくると思います
。
患者・家族間とのコミュニケーションを密に取っておかないと充実したターミナルケアはできなのではないでしょうか。
そのためにも必要なのはIC(インフォーム・ドコンセント)です。
ただ、患者・家族が「全部お任せします」といっって十分に理解せずに同意書にサインをしたり、医療者が半ば説得するような形で同意させたりといった不十分なICでは意味がありません。
しっかりと十分な説明のもとで納得して治療方針を選択できるように、看護師にもできることがあると思います。
ICも重要、同意書も重要ですが、最も大切なのはその後のコミュニケーションです。
たただICをしただけではなく終了するのではなくコミュニケーションを取り続け、納得のいく治療を続けることが出来るように援助していく必要がありますね!
今回はこれで以上です。
ターミナルケアでは本人の希望に添える看護をしたいですね。
ありがとうございました<(_ _)>
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